【書評】『カトク』――組織と個人の関係を見直す1冊
連休中に読みたかったので、有楽町の三省堂で購入し読了。
読了後はすぐにメルカリで売却が完了した1冊。
メルカリで売却したとはいえ、一度は読む価値のある作品。
ブラックな組織で働く人、そして働かせる人をリアルに描写し、巧妙に人と組織の関係を洗い出している。
過労死は自己責任か
本書の主人公はブラック企業で働く人そのものではなく、ブラック企業自体を取り締まる、「過重労働撲滅特別対策版」の城木。
その城木が、住宅メーカー、電機メーカー系列のIT企業、広告代理店などの過重労働事案を取り締まってゆく。
前作の『狭小邸宅』で不動産業界の闇を暴いた腕そのままに、その組織で働く「ブラック上司」「ブラック経営者」をこれでもかというくらいにリアルに描かれているのが本書の見どころだ。
だがこの本書の価値は「過労死は自己責任か」という重大な問の存在だ
本書で出てくる「ブラック上司」は事情聴取されると皆、
・成果がでないとクビになってしまうからしかたない
・自分たちのときはここまでやってきた
・死ぬまで働く気がないと成果がでない
といった過重労働を肯定する発言を行う。
そして城木は葛藤しながらも、「成果が出ても健康を損ねたら意味がない」と徹底的に糾弾してゆく。
人はなぜ働くのか、何のために組織に貢献するのか。
そして組織は何を構成員に提供してゆくのか。
釣り合うべき人と組織の関係がゆがみきった結果が、現在起こっている過労死、ブラック労働の根源である。
個人が復権しつつある今でも、こうした問題は続いている。
組織と個人の関係を見直し、自分のために生きる、働くこととは何か、それを知ることのできる一冊。
「カイシャ」のモンスター化による社会の機能不全
サイボウズ株式会社の青野慶久氏による新著。
人はなぜ楽しく働くことができないのか?その問いの先に著者がたどり着いたのが「会社」という仕組みの存在。「会社」をあえて「モンスター」「妖怪」とたとえ、その存在を改めて見つめ直し、それを乗り越えるにはどう立ち向かうかを記した1冊。
会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。
- 作者: 青野慶久
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2018/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
Amzonのリンク先を見ていただければわかるが、目次は以下の通り。
第1章 仕事が楽しくないのは、カイシャというモンスターのせいかもしれない
第2章 カイシャで楽しく働くためには、こう考えればいいかもしれない
第3章 楽しく働けないカイシャは、どんどん弱っていくかもしれない
第4章 サイボウズでやってきた実験は、意外と参考になるかもしれない
第5章 未来のカイシャでは、「やりたいこと」につき進む人の価値が上がっていくかもしれない
本書の見どころは読む立場によって様々なだが、若手のビジネスパーソンやこれから就職先を選んでいく学生のような立場の方には、2章~4章あたりがおすすめかもしれない。
結局はこれから個人が自分でスキルを身につけ、市場化されていく時代。それに対応しないと、個人も企業もこれまで通りにはいかない。
そもそも「カイシャ」とは
私たちは普段「会社」という言葉をあたかも個人のように扱い過ごしている。実際「会社」は会社法によって法人格が与えられ、契約主体になることができたり、資産を所有することができる。
ただし、現代社会はあまりにもその「会社」の存在を神格化しすぎている。「会社」という見えない存在のために、個人の生活を犠牲にし、不正会計に手を染め、「会社のために」と我慢して働き続ける状態は正常ではないというのが本書の主旨だ。
これは確かにその通りではあるが、ではなぜこのようになってしまったか?
それは20世紀以降の現代社会が産業社会であり、その主たる役割を果たす「会社」の存在によって、人々に「地位」と「機能」が与えられてきたからだ。
ドラッカーが説いた「社会論」
経営学の権威であるドラッカーは『産業人の未来』において、下記のように述べた。
・社会は機能しなければならない
・そのためには個人に「地位」「機能」が与えられなければならない
・そしてその社会の決定的な権力は正当でなければならない
産業社会において、個人と社会は会社の存在によって統合されてきた。
会社に所属することで、会社が個人に地位と機能が与えれ、社会は機能してきた。
そして、個人の目的、目標、理想と社会の目的、目標、理想が重なり合い、個人が社会に統合されてきた。
「カイシャ」のモンスター化による社会の機能不全
ではなぜ現代のビジネスパーソンは楽しく働けないのか?
それは青野氏が本書で指摘しているように、「会社」がモンスター化したことで、個人が「会社」のために、我慢して働いているという構図になってしまっているから。
もはや会社が「産業社会における正当な権力」として、個人に対して「地位」と「機能」を与えられなくなってしまったということ。
会社が個人に「地位」「機能」を与えてくれた時代は楽だった。組織に所属し、与えられた役割を全うすることで社会に貢献することができた。
しかし、既に社会全体が大きな成長を遂げてしまった今、これまでの延長線で「会社」が活動していくにつれて、個人の目的、目標、理想と会社の目的、目標、理想にズレが生じてしまい、会社は正当な権力ではなくなり、社会は機能不全を引き起こしてしまったといえる。
現代の会社のモンスター化を言い当てた一節が本書にある。
「しかし、カイシャが長期間にわたって成長していくと、創業者が去ったり、出資者が増えたり、株式の所有者と代表が一致しなくなる。すると、この大きなモンスターの資産を操れるようになる。人のお金でギャンブルができるようなものです。」(P.33)
青野氏は「会社は一定の目的を達すれば解散すればよい」と述べている。
一定の目的を達したものの、その後も目的なく存在してしまうと、会社モンスターになる。存在だけが目的になり、利益をただ蓄えるだけの箱になってしまう。ただの箱なのに、その存在を崇め、個人の幸福を忘れてしまう。
「カイシャ」に頼らない社会は厳しい社会
会社が個人に地位と機能を付与してくれた時代は楽だったが、そうでない社会はどうなるのか。
例えば青野氏は第3章で、次ように述べている
人件費が高くなり、そして労働人口が減少している今の局面においては、もっと働く一人ひとりの個性に目を配り、市場性に基づいて給与を決める仕組みに変化する必要があります。
これは一見きれいに聞こえるかもしれないが、厳しく、個人の責任ある選択が求められる社会だといえる。企業に所属さえしてしまえば、莫大な報酬が手に入った社会ではなく、個人の価値で評価される社会。完全自由社会だ。
これはいわゆる同一労働同一賃金、雇用の流動化の流れと同一ではある。
確かに「カイシャ」は確かにモンスターになってしまって、個人の幸福を脅かしているかもしれないが、それはつまり、会社が個人に「地位」「機能」を付与する時代は終わり、自分自身がやりたいことを見つけ、社会で機能していかなければならない時代になるということ。
それは自由な社会であると同時に個人に厳しい自立と責任ある選択が求められる社会である。
ただしまだ現実はそうなっていない。個人も社会も産業社会の理想像を引きずってしまっている。
それをまず個人から「変わろう、動こう」と発破をかけているのが、本書の一番の目的だと思う。
「楽しい」とは?
ちなみに本書はなぜ楽しく働けないのか?がテーマだが、本書で示す「楽しい」とは何か。青野氏は次のように述べている。
カイシャが職場として提供できる楽しさとは、仲間と同じビジョンに向かう一体感、個性を活かした貢献、そしてお互いの感謝。活動が顧客の喜びを生むとともに、その先にある社会貢献への広がり。それがカイシャという仕組みを活かして得られる『楽しさ』だと思います。
『日本再興戦略』の意義を考える
NewsPicksアカデミアに1ヶ月だけ入会して送らてきたこちらの一冊。
経済メディアNewsPicksで度々取り上げられたり、『情熱大陸』に出演したりで、ビジネスパーソンにはおなじみになった落合陽一氏。
学者であり、アーティストであり、起業家もある彼が、日本がこれからの日本のグランドデザインを描いた一冊。
個人的には永久本棚入りの本ではなかったのだが、価値の高いポイントも多々あるので備忘録代わりにそのあたりをまとめて置こうと思う。メルカリで売れる前に。
ポイント地方への分権と教育のアップデート
本書の1章、2章の「欧米とは何か」「日本とは何か」という世界のタテヨコの俯瞰の後に、日本のこれからのグランドデザインが描かれている。
その中で重要だと思ったポイントは下記の2つ。
- 人口減少による教育への投資の重要性
- 地方への分権
「日本が人口減少の国である」「テクノロジーが進化している」この2つの事実は相性がよい。それだけ人に対して多くのコストがかけられる国になるということ。
また、これまでの成長時代の画一的な価値観をもった人材教育ではなく、多様な人材を生み出すこと、そしてそれを受け入れる土壌を作る地方への分権。
このあたりは長期的に日本を見ていく上で重要なポイントになると感じた。
一般的な意見にも見えるが、落合氏によるタテヨコの俯瞰と併せると俄然説得性が出てくる。
やはり将来、未来を予測、予想するには歴史のタテとヨコの俯瞰は重要。
なぜ11万部も売れているのか
落合氏が引用したTweetによると本書は11万部も売れており、ビジネス書としては売れ行き絶好調らしい。
発売5日で… 11万部… だと… 売れてるんじゃねーかこれ? https://t.co/CFh8laQ3Ld
— 落合陽一/Dr.YoichiOchiai (@ochyai) 2018年2月5日
正直読んだ感覚だとなぜ11万部売れているかはわからなかった。
普段からNewsPicks等で落合氏の主張や、テクノロジー関連の情報を収集している人にはそこまで新鮮な情報でなかったように思う。
ではなぜ売れているのか。
それは本書が「勇気を与える1冊」であるからだと思う。「日本の問題をひたすら発見する本」ではなく、「再興のための種(Seeds)」を各所に散りばめているからだと思う。
問題をひたすら発見して、経済的、社会的な解決策を呈示する本は多いが、本書はそういった客観的な社会分析による問題発見自体は少ない。
「中流メディアの功罪」「教育制度」「拝金主義敵価値観」など、大きな枠組みの中での日本の問題点はもちろん列挙しているが、主張が問題点から出発しているわけではない。
むしろ個人の主観、エピソードを抽象化した分析が多くそこに違和感を持つ方も多いかもしれない。
本書はそういった問題提示よりも、日本(東洋)の特異性、ソフトパワー、ブロックチェーン等の先端との相性のよさ、そういったポジティブな新しいアングルを呈示することに重きを置いている。
日々同じような問題に関する議論を様々なメディアで目の当たりにしているビジネスパーソンや、学生にとっては勇気が出る一冊になると思う。
歴史的な俯瞰と、テクノロジーへの知見、これらの組み合わせは個人の幸福にとっては重要になってくるポイントだと思うので、そういったアングルを手に入れたい方は手にとって見ても良いかもしれない。