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人は役割を与えられ幸福になるーーカンブリア宮殿「ごちゃ混ぜの街作りで地域活性! 」を観て

7月21日放送のテレビ東京カンブリア宮殿』を観て心が動かされたという話です。

 

21日の回は金沢の社会福祉法人佛子園を取り上げたお話。

あらすじは下記を読んでいただいたほうがわかりやすいかもれない。

 

www.tv-tokyo.co.jp

 

誰もが集う「ごちゃまぜ施設」

今回取り上げられていたのは佛子園が運営するコミュニティ、シェア金沢と西圓寺という福祉施設だ。

シェア金沢は高齢者向けデイサービス施設もあるが、学生や障害者も集う「ごちゃまぜ施設」

学生は格安の家賃で住むことができる代わりに30時間/月のボランティアが課せられている。そのため、入浴の介助などで高齢者と学生が交流できる仕組みができあがっている。

そして障害者もその中で役割を与えられ高齢者と相互に助けあった生活をしている。

 

西圓寺も同じく住民の集う場所として、高齢者・障害者が「ごちゃまぜ」になった空間で生活をともにしている。

この2施設に共通する「ごちゃまぜ」という考え方が、従来の私たちの考えには及ばないいくつかの奇跡を生み出している

 

認知症患者と障害者が起こした奇跡

今回の特集では数多くのエピソードが紹介されていたが1番印象的だったエピソードがある。

それは自力で首を動かせなかった障害者と、まともに手を動かすことができなかった認知症の女性のエピソード。

首を動かせない障害者の方は、首が動かせないので、食事の際必ず助けを必要とした。プロヘルパーをもってしても食事をさせるのが困難だった。

そんなある日、認知症の女性がその障害者の方に食事をさせようと試みた。最初は手が震えて、食事をさせることが全くできなかったが、これを繰り返していくうちに、

女性は手が動かせるようになり、障害者の方はなんと首が動かせるようになったというのだ。

TVのキャプチャで恐縮だが、代表の雄谷さんがおっしゃるとおり、プロを置き去りにして奇跡が起きたのだ。

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人は役割を与えられることで幸福になれる

佛子園の代表の雄谷さんが言っていたことで印象的だったことがある。

「人はサービスを受ける側になった瞬間に活力を失っていく」という言葉だ。

従来の施設は、子供向けの施設は子供だけ、高齢者向けは高齢者だけ、障害者向けは障害者だけという構成が当然だった。

そしてそれぞれがヘルパー等に一方的にサービスを受ける形だった。サービスを受ける側はそこに役割はない。したがって、できないことはできないまま日々が過ぎていく。

 

一昨年流行したアドラー心理学は、「人は他者に貢献することで幸せになれる」と謳った。

これが一つの真理であるとすれば、佛子園は理にかなった施設だ。高齢者が障害者に貢献し、障害者も何らかの役割を与えられ、そこに生きがいを見出すことができる。

 

これからほとんどが何らかの助けを必要とする高齢者になっていく日本社会ではまさにモデルとなるべきコミュニティではないだろうか?

全員にサービス受益者になっていくことは不可能だ。コミュニティを一つの組織として、構成員である高齢者・障害者も含めて全員に対して役割を与え、貢献欲を引き出しそれを埋めていく、、これこそが持続可能な社会を作っていく重要な鍵であると感じた。

 

粋なメインバンク

ちなみに、この社会福祉法人、ビジネスとしてはまだまだ途上にある。

負債11億円の返済の真っ只中だという。

まだまだキャッシュをどう生めるか見通しが立っていない中で、メインバンクである地銀が融資をしてくれたという。

「佛子園を助けなくて何が地銀だ」

この言葉が地銀の支店長会議で飛び交ったとのことだが、これが本当であれば日本の銀行もまだ捨てたもんじゃない。

体験をデザインすることの重要性

https://www.instagram.com/p/98imH2LMsF/

 

マーケッター界隈では言い古されている言葉かも知れないが、体験をいかにデザインするか、ということの重要性はかなり高まってきている。

モノが溢れている時代、消費者は機能を備えたモノ意外のコト、体験による便益を求めている。

 

例えば小売業でもこれまでより多くのモノをより安く揃えるということが重要だったが、店に入ってからモノを選んで買うというプロセスがどれだけストレスなく、かつ楽しくできるか、というのがそのショップであったりモールの価値になっている。

最近の小売業ではこの"体験"という言葉はうるさく言われており、最近続々と出来ている東急プラザ銀座や新宿のニュウマン等の新しいモールはそういったユーザーの体験に重きをおいているように感じる。

 

製造業においてもiPhoneの登場以来、製品の機能よりもユーザーエクスペリエンスのデザインが重要であるということを各社が認識し始めてきた。

Kaizen Platformの須藤さんが「続・インターネットストラテジー」というNewsPicksの連載で

「プロダクト=顧客体験を生み出す全て」といっていたように、製品を認知してから購入し利用または運用するまでの体験全てがプロダクトである時代になっている。

newspicks.com

世に出ている新しいツールやサービスには顧客体験までしっかり練られているが残念ながらそうでないものはたくさん多い。

 

例えばオフィスビル1つとってもそうだ。

 

これまでは素晴らしい立地に美しい見栄えと強固なセキュリティを兼ね備えたビルを立てておけばよかった。

ただそんなビルはどんどん溢れてきて、そこに有るコンビニの質や場所、飲食店の雰囲気、入館するまでの動線、全てにおいて顧客の期待を上回るようにデザインをしなければ生き残っていけない。

 

そういうある種の嗅覚的なものがあるかどうか、自分が体験した時にしこりが残らないか、、そこまで考えないとこの日本という消費者が以上に成熟している市場では行きていけない。

 

そんな感じで最近感じたことをメモったところで、、終了。

 

最高の町興しツールとしてのフルマラソン

昨日口熊野マラソンという和歌山県フルマラソンの大会に参加してきた。

フルマラソンは初めてで、今回参加したのも知り合いに誘われたからであり、そこまで行きたかったわけではない。

2ヶ月前くらいに参加が来まり、週に1回程度10キロを走ったりして、何とか4時間台で走破することができた。

この大会です。

kuchikumano-marathon.jp

 

この大会、参加するとなって初めて名前をきいたが、実は21回も行われてフルマラソンの部には何千名もの参加者が走っている

 

初のフルマラソンで感じた町興しとしての威力

フルマラソンの辛さももちろんだが、それ以上にフルマラソンの町興しとしての可能性を肌で感じることができた。

和歌山はほぼ初めてだったが、フルマラソンを通じてその地を好きになる要素が沢山ある。

 

例えばマラソンの給水所だ。

給水所では水・スポーツドリンクやその他炭水化物が出されるが、ここは地方の人々にとっては最高の宣伝場所だ。

口熊野マラソンで出されていたのは紀州梅、和歌山のみかんなど。

ランナーたちはほぼもうろうとした状態でそれらを口にする。まずいわけがない。好きにならないわけがない。

私もマラソン中に紀州梅を5つ以上は食べた。

食べる度に美味しさ以上に、それらを用意してくださった町の方々への感謝の思いがこみ上げていき、「和歌山=いい街」というブランドが形成されていく。

 

そして地元民でない限りどこかに必ず宿泊しなければならない。そこで畳み掛けてくるのが白浜温泉だ。

フルマラソンで人生で経験したことのないくらいの筋肉痛と関節痛に身体にはいる温泉。気持ち良くないわけがない。こんな極楽がこの世界にあるのか、、というくらい気持ちのよい温泉だった。

 

マラソンという極限状態の人に対して、暖かく接し、美味しいもの、気持ち良い温泉を提供することは、普通の人にそれらを提供するよりも良い印象を与えやすいのは間違いない。

 

どれだけリピーターを増やせるか

町興しにとって重要なのはどれだけ街のリピーターを増やせるか。

一回の投資で継続的な顧客を作ることができるか。

修学旅行で毎年一定数くるような街なら努力しなくてすむが、観光資源はあるのにそういった"メディア"をもたない町は苦労する。

 

したがってフルマラソンで1000名以上街に来ること自体も街にとっては大事だが、それ以上にその人達がまた家族や友人を誘って和歌山県を訪れるということが計り知れない経済効果になる。

そういう意味では今回の口熊野マラソンでは「もう一回来よう」と思わせるような仕掛けがかなりあったように思う。

 

そういった好意形成の部分のストーリーを上手く組みたれれば町興しにとって大きな武器になるだろう。

もちろんフルマラソンのマーケットというのは限られているので、共通するイベント等、諸々考え無くてはならないが。

 

しかし本当に良い大会だったし、良い街だった。