脳に騙されない生き方――『スタンフォードの自分を変える教室』
2年前ほどに発売されビジネス系の本ではベストセラーとなった『スタンフォードの自分を変える教室』
気にはなっていなかったが読んではおらず、最近文庫本が出たようなので読んでみた。
そういえば珍しい「意志力」というテーマ
ハードカバーの方が売れていた時はさほど気にはなっていなかったがこの手のビジネス系自己啓発本で「意志力」という力がテーマになることがそもそも珍しい。
自己啓発系の本でよくあるのは、
・「年収●億になるための習慣」とか
・「●●代までにやっておきたい△△」とか
「こうしたらこうよくなるよ」という話をまとめたものが多い。
この手の本は読んでいるうちは明快で自分に応用できそうな気もするが、数ヶ月たって自分を変えられたかというとそうではない、、というものが多い。
そもそも人の習慣を変革するのは非常に難しいからだ。
そういう「人の習慣を変革する」系の本で、優れている感じるのは水野敦也氏の夢をかなえるゾウくらいだ。
なぜ人が習慣を変更するのが難しいのかというと、それは「意志力」の問題であるというのが本書のテーマである。
もちろん「自分を変える」ためのアドバイスは散りばめられているが、基本的にはそして「意志力」に関する事実、実験結果が中心で成り立っている。
それがとても、おもしろい。
脳がいかにダメなのか ードーパミンと脳ー
意志力を語る上で一番知っておくべきことは「脳がいかにダメなのか」ということだ。
本書で示される数多くのエピソードは、脳がいかに人間の意志力を下げているかを物語っている。
第5章で語られる「脳の報酬システム」ではラットが自分が動けなくなるまで電気ショックの刺激を求め続けた実験を元に、脳がドーパミンによって報酬を「期待させられる」ことを明らかにしている。
脳は「報酬」そのものに喜びを感じるのではなく、「報酬の予感」によって刺激を受け、行動に結びつけるのだ。
この「報酬の予感」というシステムにより、古くから人間はどんな困難な状況においても、生き延びることができたのだ。
しかし現代はどうだろう。
モノが溢れる社会になった今、街はこの「報酬の予感」で溢れている。モノが溢れているので、この報酬の予感に従わなくても生きて行けることが可能になった。むしろこの「報酬の予感」こそが現代人が善く生きるための阻害要因となっている。
したがって人間はこの「報酬の予感」というよく出来たシステムを知り、利用・コントロールしていかなければならない。
このように、人間の身体、脳の進化よりも先に現代社会は進化し続けている。
「脳」はもちろん偉大ではあるが、脳は完全ではない。脳に支配されるのではなく、脳を理解し、コントロールして行きてゆくことが、意志力を保ち、鍛えてゆくためのカギとなる。
脳の限定合理性
ここで第7章で紹介されている、人間の脳特有の限定合理性を紹介したい。
①将来の価値を低く見積もる
脳にとっては「すぐに」できる・手に入るということが非常に重要となる。そうは報酬の予感を感じる脳のシステムが将来ではなく、今すぐ手に入ることにだけ予感を感じるからである。
自分自身に5年後の成果が必要だとしても、脳自身は全くをそれを望んでいない。だから人間は目の前の誘惑に負けてしまうのだ。
②未来の自分を他人だと思ってしまう
人間は将来の自分を過大評価してしまう傾向にある。
「明日の自分ならやってくれるだろう」
「来年の自分はきっと○○に違いない」
こういった形で将来の自分を全く人間として見てしまい、過大評価してしまうのが人間の常である。
未来の自分は過去の自分の延長戦でしかなく、もし自分が将来の自分を高く見積もっていることに気付いたら、そんなことはない、ということに気づくのが自分の意志力を保つための重要な一歩となる。
脳から独立した自分を
本書を読んで強く思ったのは、少々哲学的になってしまうが、「自分そのもの=脳」ではないということである。
「自分=脳」ではなく、「自分=脳を含む身体」と考えるのが自然であり、意志力は脳によって作られることもあれば、脳によって妨げられることもある。
したがって自分自身、自分の脳で脳について考えるということを実践していくことで意志力が鍛えられていく。
脳に支配されない自分を確立するために、脳のメカニズムを知る。
そのための重要なヒントを示してくれるのが本書である。
脳と身体の関係性については養老孟司氏の以下の著書がおすすめです。
自分自身まだ、唯脳論自体は理解できていないので、是非本書と組み合わせた書評を読んでみたい。
ヤマダ電機の新店舗"Concept LAVI TOKYO"が想像以上に酷かった件
10月31日に八重洲にオープンしたヤマダ電機の新業態、Concept LABI TOKYO。
「最先端コンセプトの情報発信基地」と謳っているようにこれまでのヤマダ電機よはちがったコンセプトで作られたということもあって期待していったが中々期待はずれだったので、そのレポート・・・。
入り口から漂う"ヤマダ電機感"
これまでの量販店といえば、できるだけ多くのものを陳列し、どこよりも安いということを謳うことに力をいれている分、大衆向けになり、「オシャレさ」等は捨てたものが普通だった。
なので、Concept LAVI TOKYOはそういった従来の家電量販店とは違うのではないかと期待していた。
イメージで言えば、二子玉川にオープンした蔦屋家電。
だが、蓋をあけてみるとまったく様相は異なっていた。
入口に入った瞬間、どこの家電量販店にもあるような
「イー・モバイルいま勧誘なら○○円お得!!!」
こんなポップをかざり、ウインドブレーカーやハッピを着用した店員が勧誘を行っている。
中に入っても新宿のLAVIとおなじようなアナウンスやBGM.
店員の服装も同じ・・・。
何が「Concept」なのか全くわからない。。。
ガラガラの店内
案の定店はガラガラ・・・。
クリスマス、年末前のこのシーズンといえば家電量販店は一番忙しいはずなのに、、、手持ち無沙汰の店員が話しかけてくるくらい暇。
店員によると、オープンしてから全然客が来なかったので普通の家電量販店のようなポップを増やしたとのこと・・・。
謎の場所に位置するカフェ
7Fにカフェがあるのだが、そこの回りは冷蔵庫売り場・・・。
モールとしての魅力を出したいならもうすこしレイアウト考えたほうがいい。
冷蔵庫に囲まれてコーヒーが美味く飲めるはずがない。
哀愁ただようSONY&Panasonicコーナー
1FはAppleコーナー
2Fはモバイル
そして3Fにあったのは「SONY/Panasonic特設フロア」
2大メーカーのためのフロアなのか!!!新しい!!と思って楽しみにいってみたのだが、
特に新しい発見は皆無に近かった。。
個人的にはSonyが好きなので楽しめたのだけど、普通の人からしたら普通の電気屋と変わらない。
むしろ無駄にスペースをとっているため情報量も少ない。
一体何がしたいんだろう・・・。本気でそう思わされるくらいつまらなかった。
完全な企画オチ
こうなってしまった原因はいくつかあるだろう。
まずは立地。
八重洲口から徒歩ときくと東京駅から近いように見えるが、この辺を歩くのは日本橋で働くビジネスマンか、成田空港にバスでいく人くらい。
渋谷・新宿や銀座のように外国人が好んで集まるような場所ではないため人は集まりにくい。
もうひとつはコンセプトの"薄さ"。
Concept LAVIと名乗ってるもののコンセプトが何なのか一向に見えてこない。
本当にお洒落を目指すなら収益を度外視したような洗練されたデザインとか建物にすればいいのに、全然尖ってない普通の家電屋。
おまけに客が来ないからといって、いつものヤマダ電機の雰囲気に戻してしまう。
いつものに戻すならビックロみたいなごちゃごちゃ感を作ってしまえばよかったのに・・・。
各フロアに1台ずつくらい居たPepperがますます痛く見えてくる・・・。
スポンサード漫才?5年ぶりのM-1グランプリに見たTV広告の新しい形
今年はM-1グランプリが5年ぶりに開催され、敗者復活を勝ち上がったトレンディエンジェルが優勝した。
開催されていることも今日の敗者復活の生中継を見て知ったくらいだったのだが、相変わらず演者の出来だけでなく演出や作り等、賞レースとしての「格」の作り方は見事だった。
ただ、1点だけ「審査委員が歴代優勝者」っていう点だけはひっかかったが、、、。
それは置いといて、今年のM-1には漫才以外にも面白い点があった。それはCM・広告の作り方。入れ方だ。
細切れのCMは少なめで、視聴者に飽きさせない
今年のM-1のスポンサーはプレミアスポンサーとしてCygames、日清食品、ユニクロ、ファミリーマートの4社が上がっていた。
これまでのM-1等ではスポンサー(主にオートバックス)のCMが漫才の途中で流れたりするのだが、今回はそういう普通のCMは少なかった。
一般のCMは開始前に数回、本戦で1回、あとは優勝発表前くらい。
今年のM-1は録画して19時位から追っかけ再生していたが、普通に観ていても飽きないていどのCM回数だったように思う。
じゃあ何が行われたかというと、番組中でのスポンサーの"自然な"露出だ。
自然に登場するファミチキ、ユニクロフリース
細切れのCMでは私のような録画組には飛ばされてしまうので、代わりに何が行われたかというと、番組での自然露出だ。
例えば、出番を待つ芸人達が待っている楽屋に何が置いてあったかというと大量のファミチキ。
ああいう人が多く集まる場所にファミチキがあると確かに良いなと思ってしまう。
また敗者復活の結果を外で待っている芸人達が何を着ていたのかというとユニクロロゴが入った暖かそうなフリース。
どうせ飛ばされるCMで錦織圭に来てもらうより、「待たされてる寒そうな人」にフリースを着てもらったほうがよっぽど効果的。
極めつけはNON STYLEの「"スポンサード"漫才」
こういった形で録画中でもスポンサーの露出があるように工夫していてすごいなーと思ってみていたのだが、優勝発表前のCMでもっと驚くべきことがあった。
それはNON STYLEによる「スポンサード漫才」だ。
決勝3組目のジャルジャルのネタが終ったので、30秒スキップを押すと誰かが漫才をしている。
「あれ?まだ残ってたっけ」と思っていると、やっていたのはM-1には出ていないNON STYLEだ。
そして彼らはいつものようにネタをやっているのだが、ずっと見てみるとそれはゲレンデを舞台に井上がヒートテックを面白く紹介するという2分ほどの「スポンサード漫才」だった。
10年ほど前、「コントの中でスポンサーの名前を入れまくる」というネタをアンジャッシュをやっていたのを見たが、それが実現したイメージ。
昔のM-1でもオートバックスのCMで優勝者が漫才をやったりしていたが、今回はCMの中での漫才というより、漫才の中でのCM。コンテンツとして普通に面白い上にスポンサーも登場する。
ネット時代・録画時代の新しいTV広告の形
テレビが衰退したと言われて久しい。
色々と原因はあると思うが、いくつか要因としてあげられるのは録画機器の高性能化とに併せてネットでもコンテンツを見られるようになったことだろう。
録画すればCMは飛ばされ、スポンサーも激減する。
Youtubeに番組がアップされるとわざわざTVを通して見る必要もなくなり、視聴率も減る。
だからといってCMをなくしてしまってはコンテンツ自体を作れなくなる。
そのために生み出したのが今回のような手法だろう。録画していてもスポンサーに触れられるような工夫を番組自体に入れ込む。
それも単なるスポンサー紹介ではなく、コンテンツの中に自然に。
紙媒体やネットメディアではネイティブ広告として自然に行われてきた形だがTVでも同じ形は増えるだろう。
もっとも、『TBSのチューボーですよ!』等では料理と合わせてサントリーのウイスキーやワインを飲んだりもしていて、これまでもコンテンツを損ねない形でスポンサーが登場するというのはあったことはあったけど。
録画で見たFNS歌謡祭が細切れCMが多かった分、今回のM-1が気になった次第。